トルコ旅行記Part5
◆イスタンブール - アジア側の都市散策
カディキョイで過ごしたたったの5時間ほどで
私はすっかりこの街並みや食事に魅了され、すでにトルコへの愛が深まっていくのを感じていました。
折角なので観光スポットにも行ってみようと思います。
ユスキュダルと乙女の塔
カディキョイから北へ少し進むとユスキュダル(Üsküdar)という街に
乙女の塔(Kız Kulesi)という観光名所があるようなので向かいました。
カディキョイからユスキュダルまでは電車で約1時間、タクシーでは約15分です。
この時初めて【BiTaksi】というアプリを使いました。
東南アジアなどではgrab、Uberが主流でどこの国でも使えるイメージがありましたが
トルコでは過去にそういった企業の禁止などもあったようです。
国の企業や雇用を正しく守る、という意味ではある種賢いのかもしれませんね。
(利権絡みかもですが)
BiTaksiでは事前に目的地を登録をし、クレジットカードで決済ができるので
スムーズに乙女の塔まで辿り着くことができました。
▶︎曇天の乙女の塔
正直、乙女の塔を見た時の感動はそれほど大きくありませんでした。
曇り空で小雨が降っていたことや、遠目での観覧だったことが影響していたのかもしれません。
とは言え有名な観光地なだけあって、多くの観光客が訪れていました。
▶︎薔薇売りの女性
乙女の塔を背景にセルフィーをしている人々や薔薇を持って
にこやかに記念撮影するカップルなどで溢れていました。
これだけ人が集まるというのは、もしかすると皆
乙女の塔の伝説に惹かれてくるのかもしれません。
乙女の塔は紀元前4世紀に作られたという説や中世に建てられたという話など諸説
あるようです。ただ、ビザンティン、オスマン帝国時代に改修を経て姿や役割を変えて現代までそこに在り続ける歴史ある建造物であることは間違いないようです。
そんな乙女の塔に纏わる二つの伝説を紹介します。
-王女の悲劇-
ある予言者が王に、「王の娘が18歳になる前に蛇に噛まれて死ぬ」と予言しました。王は娘を守るために陸から離れた所に塔を建設し、幼いうちからそこで暮らすよう命じ、毎年誕生日に娘に会いに塔へ足を運ぶのが通例となっていました。しかし、娘の18歳の誕生日に王が訪れた際に贈りものとして持ち込んだ果物の籠に潜んでいた蛇が娘を噛み、予言が現実となってしまいました。この伝説から「乙女の塔」という名前が付けられました。
-レアンドロスと女官へーローの逢瀬-
乙女の塔には女神アフロディーテの女官であるへーローという美しい女性が塔に住んでいたのですが、ある日塔を訪れたレアンドロスという青年と恋に落ちました。昼間は人目があるため、夜、レアンドロスがボスポラス海峡を泳ぎ会うことになります、ある嵐の夜に波に攫われレアンドロスは溺れてしまいました。悲しんだへーローは塔から身を投げて後を追ったと言われています。
おそらくこの強い愛の物語が故に、この辺りではその象徴として薔薇が売られているのでしょう。
▶︎乙女の塔を横目に大勢の釣人
▶︎釣れそうで釣れなかった御仁
ユスキュダルのモスク巡り
ユスキュダルへ来た目的はついた瞬間に果たせたのでここからフリータイム。
イスタンブールヨーロッパ側へと跨る殉教者の橋方面へ歩いてみます。
歩いていると人が集まるモスクを発見しました。
▶︎石造の入り口
モスクの中はイスラム教徒風の方と観光客でいっぱいでした。
中庭があったのでそこから東を見上げると曇天に海鳥の影。
映画のワンシーンのようでゾクっとしました。
(何か物語が転調する前兆のような・・・)
▶︎Shemsi Ahmet Pasha Mosquemaps.app.goo.gl
さらに街を歩いていると、雨が本格的に降り出しました。
雨宿りの場所を探していると、今度は先ほどより何倍も大きなモスクが見えてきました。
▶︎ミフリマー・スルタン・モスク 外観
門をくぐると、一気に空気が変わりそれまで聞こえていた雨音がやや遠くなり心地よいものに変わってきました。
目の前に広がる豪華なデザインの天井や支柱に目を奪われ、空気感に圧倒されました。
ここは足洗い場のようです。
実際に何人もの人が雨の中ここで足を洗っていました。
日本人が神社に入る前に手を洗うようにイスラム教徒はモスクに入る前に足を洗うのでしょう。
▶︎足洗い場のデザインもモスク風
入り口には覆いがされており、外からは中を見ることができません。
靴を脱いでいざ入場…
目の前の景色に思わず息をのみ、しばらく言葉が出ませんでした。
イスタンブールについて街や食事の素晴らしさはすでに感じていましたが
初めて触れる本物のモスクの荘厳さと厳かで柔らかな空気感。
どこを見ても完璧なバランスで作られたその造形は建築など詳しくない私でも
感嘆するばかりでした。
トルコにはもちろんたくさんのモスクがあり、それぞれに個性や素晴らしい点があると思います。
でも私は初めて入ったこのモスクを忘れることは一生涯ないでしょう。
中にいる人々は本を読んだり祈りを捧げたり、静かに過ごすという一点のもと
想い想いに時間を過ごしていました。
私は床に座りあたりを見渡しながら頭の中で今回の旅を振り返ったりなどをして
およそ1時間ほどモスクの中にいました。
正直、時間が許すのであればいつまででも過ごしていたいと思えるほど本当に居心地の良い「癒しの時空間」でした。
トルコの超絶品スイーツ
ユスキュダルでモスク巡りをした後、実は現地の方との心温まるエピソードがあるのですが、それはまた別の機会にとっておきます。
(この一件で私は「トルコ人大好き人間」に)
本拠地のカディキョイへの帰り道は、地元の方に教えていただいた
乗合タクシー(8人乗りのワゴン車)と市営バスを乗り継いで到着。
再び舞い戻ってきたカディキョイでのお目当て。
トルコに来たら絶対食べるべし!と言われていたものが・・・
バクラヴァ(Baklava)です!
バクラヴァというのは日本ではあまり馴染みがありませんがトルコを代表する伝統的なお菓子で、その起源は中世のオスマン帝国にまで遡るそうです。
散歩の時に気になっていた外観のお店の前に行くと、気のいい明るい波動を放つ
店員のお兄さまが「ぜひウチで食べていってくれよ!」というような身振りをしてくれたので、お邪魔しました。
▶︎Duranoğlu Baklava
中を覗くとたくさんのお菓子がズラァーと並んでいて色彩豊かで見ているだけでも楽しい気分に。
ハリーポッターの世界に出てくるホグズミードという村にある、ハニーデュークスのお菓子屋さんが現実にあったら
こんな感じなのだろうなと思いました。
気になるものばかりでしたがグッと堪えて今回は
"Baklava Lütfen!"(バクラヴァ ルトゥフェン!)
┗バクラヴァください!
と叫ぶとショーウィンドウを案内してくれました。
「バクラヴァ」と一口に言ってもいろいろな種類があるようです。
一つ一つ説明をしてくれて
ウォールナッツ(胡桃)入りのものやピスタチオ入りなど、ナッツ系が多かったです。
この中から三つ好きなものを選んでいいよと言われました。
とってもあまーいデザートだというコトなので
チャイも頼んだところ、トラディショナルな形のチャイが届きました。
激熱なので最初はグラス上部を持ちましょう。
▶︎THE・トルコチャイ
すぐに本命のバクラヴァも届きました。
バクラヴァを語りたい
はっきり言って、今まで食べたスイーツの常識を覆す衝撃的な美味しさでした。
柔らかさとサクサク感が同居した薄い生地が幾層にも重なっていて、その間に細かく砕かれたナッツ類がたっぷりと入っています。
極め付けはたっぷりと浸されたシロップ。
フォークやナイフで一口台に切るとその粘度でシロップがまとわりつくのを感じます。
口の中に入れるとまず初めにシロップの甘さが脳味噌にガッツンと効き、
そのすぐ後にナッツの芳醇な香りと生地のサクしっとり感が追いかけてくるような
五月雨式の美味さの連撃を食らいました。
▶︎じゅわりとシロップが湧き出します
このシロップがバクラヴァの甘さとしっとり感を最大限に押し上げており
そこに和菓子のような奥ゆかしさなどはなく(褒め言葉)
但し、しつこい嫌な甘みは全く感じません。
「甘いものはうまいんだ、ただ中途半端はダメだ、全開でいけ」と
説教をされたような感覚でした。
あまりの美味さに手が止まらない、という感じではなく
一口一口大切に向き合う、噛み締める、脳で感じる、チャイでふと我に還る
という幸せに満ちた至高のループを過ごしました。
因みにお会計は全部で190リラ(950円ほど)でした。
次回は・・・
イスタンブールのアジア側の思い出は以上になります。
本当は晩御飯を食べようと思ってお店を探してもいたのですが
血糖値の急激な上昇のせいか、この日は18時頃に就寝してしまい
次の移動に臨むこととなったのです。
次回、トルコといえば・・・
カッパドキア(Cappadocia)!というわけで世界的に有名な観光地に向かいます。
同じ国内でも一気に色が変わって素敵な街でした。
お楽しみに!
大喜びでお答えいたします!
-naotrip-